ダラダラと語ってみる

2014年8月 1日 (金)

テレビ番組を録画して見る、という習慣

をもうやめようかな、と思います。
 
唐突にそう思いました。
 
昔はテレビは基本的にその番組がやる時間にテレビの前にいなければ見れなかった、ですよね。
まぁ、ビデオとかもありましたけど、今より色々面倒でした。
 
それが、なんだか色々便利になりすぎてテレビに取り付けるハードディスクみたいのが出てきて、予約録画が簡単になって、なんでもかんでも毎週予約に登録しておいてどんどんハードディスクに入れるようになって、、
 
そうなるとあっという間に残り録画時間がなくなって、どんどん追い立てられるように番組を見ていかなくてはいけなくなって、見たくて録画した番組のはずがなんだか義務で見る感じになってきて、これが精神的にどんどんしんどくなってくる。
 
ウチはブルーレイに録画した番組をブルーレイに録画もできます。
そういう機械を買いました。
でもこのブルーレイに焼くって作業、何故かすごい時間かかるし(データを圧縮するから?)、録画可能時間を増やすためにまぁ~たくさん焼いてるんですけど、結局焼いたブルーレイを見ることなんてほとんどないし、たまに、これはなんのための作業なんだろう、と思うことがあるんですよ。
見直すこともないブルーレイをどんどん増やしていくための不毛な作業。
これに休日の家でほっとしたい時間が奪われる。
 
あと、ハードディスクは録画可能時間がゼロになると新しく番組を録画することができなくなってしまい、たまに録画したかった番組が録画できていない、なんてことがあったりして、この時の番組が僕の録画したかった番組ならまだしも妻が録画したかった番組だったりするともう家が最悪の空気で、こういうことがもう今年になって2回もあるんですよね、、
 
なんか、録画して見る、って習慣になると、あんまりいいことないような気がしているんですが、これって僕だけですかね?こういう環境になる前のほうが明らかにテレビが楽しみだったし、面白く感じてた気がするんですよね。
 
そもそもテレビ番組は録画しないでオンタイムで見ればいいだけなんじゃないですかね?
で、家に帰るのが遅くなっちゃったりして見たかった番組を見過ごす、という悔しい思いをしたら、悔しいかもしれないけど、それはそれでよくて。
その時はそれだけその番組を見たかった!って気持ちがつのってその次の放送がより楽しみに愛着が湧くんじゃないですかね?
 
それでいいんじゃないですかね?
 
まぁ、そうなると僕は早朝のニュースか深夜番組しか見れなくなるからドラマ関係はなに一つ見れなくなってしまいますけどね、、
 
まぁ、でもドラマはDVDになるからいいかな、みたいなのもあるし。
 
ああ、でもその「DVDで見ればいいや」って感覚も「録画したのを見ればいいや」って感覚の延長のやつなのかな、、
 
そう考えると映像の番組を「流れてるもの」じゃなくて、パッケージされたアーカイブと捉えるような感覚そのものがそもそもの元凶なんじゃないか、みたいな気がしてくるんですよね、、
 
だから人が映画館にも行かなくなっちゃったりするのかな、、
 
作品とかも本当は「自ら出会に行くもの」で「コンテンツとして提供されるもの」ではなかったはずなんだよなぁ、と思うんですよ。
 
まぁ、こんなことを考えてるきっかけになったのは、見たい番組が録画可能時間を超えていて録画できてなかった事件が今起きてるからなんですけど、はぁ~、、
 
ツライですね。
 
 

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2011年1月30日 (日)

不条理システム

ものすごくザックリしたこと言いますけど、

世の中、普通に不条理なことがまかり通り過ぎじゃないですか?

正しいこと、間違ってること、仁義とか、約束とか、大事だよね、ってこととか、

もう、

すごくですね、

そういうことは勢力を感じないというか、

もう、白アリが柱を食い尽くしちゃってる感じでほとんどやられちゃってるというか。

見た目かろうじてあるだけで。

だから生き残ってる柱一生懸命補強して家を守りたいんですけど、ぼくもアリみたいなもんなので白アリ一匹と闘うのが精一杯ですよ。

もう殺されるか、自分の身体白く塗って殺されないようにするだけですよ。

かなしいですよ。

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2010年7月25日 (日)

いつも

そう見せたい自分とそうでない自分の行ったり来たり。

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2009年10月24日 (土)

削りぶし

一人で歩いていると考え事をしてしまう。

考え事をして身体に対する意識が遠くなると、自分の足音が自分を削っている音に聞こえてくる。

足元から

ザッ、ザッ、

っと削っていく。

大きなカンナが少しずつ少しずつ身を擦りながら上がってくる。

今僕は前に向かって歩いていると思っているけど本当は違ってただ、その場で削り取られているだけなのかもしれない。

「前」になんて進めていない。

し、「前」って何がどう前なのか、後や横とどう違うのか、僕には分からなくなってきている。

目的地はどこなんだっけ。

そこって本当に実在する所なんだっけ。

今、どこまで刃がきてるのだろう。

痛覚がない。

何となくへその辺りから下の感覚がない気がする。

ということはやはり歩いてはいないのか。

この音がどんどん近づいてきて、耳もとで聞こえるようになったらもう、危ないのかな、

と思った。

という妄想を歩きながら、した。

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2009年10月21日 (水)

近所のコンビニの店員にはなんの遠慮もなく

自分をさらけ出せる私だ。

寝癖だらけだろうが、顔が腫れぼったかろうが(この日本語あってるのか)、寝間着姿であろうが不機嫌な顔だろうがさらけ出せる。

マックの店員にはそんな姿は見せられない、さらけ出せない。
おまけに異常な明るさに何故か劣等感が湧き、目すら見れない(これで昔当時の恋人に愛想を尽かされた)。

コンビニの店員はそういう意味ではなんか心を開ける存在なのだ(喋ったりするわけではないが)。

そう思っていた。  

ところがだ。  

先日ジャンプとスピリッツとヤンマガを立ち読みしに行って(スピリッツ、「バンビーノ」が休載で悲しかった)、帰りにヨーグルトと菓子パンと菓子を別になんのこだわりもなく惰性でレジに持って行ったら対応してくれた店員がバイト先の女の子だった。

掛け持ちでそのコンビニでも働いていたのだ。

突如我に帰りバイト先でのキャラに切り替えたものの既に遅く、完全に後手に回っていた。

「ずっとそうなんじゃないかと。」

と一言言われた。

ずっと?!

え?俺が完全寝起きみたいな格好で入ってきて、一目散に雑誌のコーナーに行き、ジャンプを手に取り「ナルト」と「bleach」読んで後にスピリッツに手を伸ばし「上京アフロ田中」読んでフッとかたまに笑って、アレ?「バンビーノ」は?ってなって飛ばしちゃったかと思って最初からペラペラページめくってそれでもなくて、最後の目次ページ見て休載っていうの知って「え〜」ってなってそれが若干顔にも出て、挙げ句にヤンマガのグラビアにヘラヘラしてる(してないけどそう見える!)間「ずっと」っていう「ずっと」?え、それとも俺がこのコンビニによく寝間着姿で来ていて、髪もボサボサだし銭湯帰りで髪が濡れてたりしながら来店してきてて醜態を晒しているのにそのコンビニにバイト先の人がいるっていうのを全然気付かずに過ごしてきていて、今やっと気付いたっていうこの期間を指しての「ずっと」?

え、え?どの「ずっと」?

てか、うわっ、

今日の俺のチョイスなんだ、 フルーツヨーグルトにチョコクロワッサンに染みチョココーン。

子供のチョイスだ。

子供のオヤツを選ぶ時のチョイスだ。

しかもチョコがかぶってるし、

あ〜、バカだと思われる、バカだと思われる。

いや待て、

この子はずっと俺がこの店に来ていることを知っているとするなら、アレか?

これは、もうただの日常なのか?

『またアイツ寝間着で来たよ、どうせまた立ち読みしてオヤツ買って帰るんでしょ?』

を散々繰り返した後の今日、の、

今、なのか?

え?え?嘘だ嘘だ。

  

とにかくもう逃げたかった私は。

カバン的なものは持っていなかったが、「袋はいいよ」とせめてエコ的な発言をして少しでもこの子の中の自分のイメージを上げてバッと商品を受け取り…、

いや!

いや待て、

寝間着姿で今レジ棚の上にあるヨーグルトとチョコクロワッサンと染みチョココーンの3点をガバッと手に抱えてこのコンビニをアタフタと去るその姿の方がキツいぞ、完全にコソドロだ、あ〜ぶない、あやうく大惨事だ、いやしかし既に火の手は回っている、俺に今出来るのは全焼にならない方法を探ることだけ!ぐっ!無力!

消えたい、今すぐ瞬間で消えたい!

テレポーテーション!

駅前のカラオケボックスの空室に!

「あーーー!!」って一回言いたい。

ホントは誰もいない大草原とかがいいんだけどなんだかこんなことで大草原を利用するのは若干自然に申し訳ない、だから。

あ、

でもダメだ、俺サイコキネシス使えないんだった。

てかもし使えても今俺が突発的に感情で突然この場から消えたら目の前のこの子がビックリしちゃうだろ。

レジ前だから防犯カメラにもその瞬間が写っちゃうし、なかったことには出来ない。

バイト先で次にこの子に会った時に色々説明して理解してもらわなきゃいけなくなるし、理解してもらった上にこの秘密を他にバラさないよう密かに監視しなきゃいけなくなるんじゃないか?うわメンドクセー。あ、大丈夫だその心配はない。だって俺サイコキネシス使えないから。

と頭でグルグル回っている内にその子は会計を済ませ至って事務的に商品をレジ袋に詰め、そのレジ袋の手で引っかけるところの両端を持って僕の目の前に差し出し、僕がその子の手と手の間のスペースに指を引っ掛ければいいようにしていた。

はっ!

なんてこった・・・。

俺はこの俺の恥部を知り尽くしたこの店員の手と手の間のこのスペースに指を差し入れてレジ袋を受け取らなくてはいけないのかっ。

てかなんて恥ずかしい行為なのか!

こんなことを僕は今までほぼ毎日のようにやってきていたのか。

あぁ!!

とここで僕の精神のキャパが許容量を超えたので半自動的に『無我の境地』が発動され次に気付いた時にはトクダネを見ながらヨーグルトを一心に口に運んでいた。

はぁ…、

僕が『無我の境地』を体得していなかったら今頃は、と思うとゾッとするばかりだ。

  

今回のことで、今までコンビニの店員にさらけ出せてたのは、安に関係性の構築がちょっとどうでもよかったからというか、社会の底辺というものを見る目線があったからなのだと気付かされた。

実はその目線は逆に僕に向けられていたのだ。

よし、とりあえずあのコンビニで立ち読みするのを止めよう。

って何の教訓にもなっていないじゃないかっ。

自堕落な僕め。

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2009年9月19日 (土)

間違ってやしないかい?

食に関して。

世の中どうも、できるだけ低カロリーで満腹感・満足度を得られるようなものを、という風潮があるようだけど、

そういうTVCMやら人の話やらを聞くにつけ、違和感を感じます。

だって、生きていくためにはできるだけ少しの食事量で高カロリーな方がいいに決まってるじゃないですか?

「たくさん食べても安心ね。」

みたいのホント意味が分かりません。

たくさん食べても全然カロリー取れてなかったら死ぬだろがい。

不安で仕方ないわいっ。

ちゃんと日々死なない程度にカロリー取れてるか、そういう悩みを持つ人の気持ちも汲んでいただきたい。

なので僕はそういう低カロリー食品みたいなの開発してる方々には申し訳ないけど、ちょっと迷惑なのです。

こんなことを言うと常にダイエットに気を使っている女子的な方などには印象が悪いかもしれませんが、

「細い」=「美しい」

という方程式が必ずしも絶対じゃないと思うのは僕だけじゃないはずです。

むしろ少しポッチャリしてるくらいがぽにょぽにょしてていいじゃないか。

という個人的なアレはどうでもいいですが。

Naruto1740009   

     

    

   

   

  

   

   

    

    

    

    

   

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2009年9月 5日 (土)

バイト脳

みたいのがあると思っていて、一種の脳の症状で(と思っていて)、バイトを6連勤くらいした時からなるあの、何とも形容しがたいだるさとめんどくささと疲労感からくる、無気力状態のあの状態のことで。

無気力といってもバイト先ではわりと元気で、頑張れるのだが、家に帰るともう何にも出来ず、ただダラダラと過ごすのみで、芝居観に行くことくらいしかできないという症状に陥ります。

それだけでなく、何か自分にとって大事なこと

(例えば自分が芝居期間中、こんなことに挑戦してみたい、と密かに計画していたアイデアであったり、勉強しようと思って準備していたことであったり、劇団のことや、今まで関わってきた大切な友達や演劇人達に対する配慮であったり、古い友達、家族のことであったり、もっと身近な例えば読もうと思って楽しみにしていた本のことであったり、借りてた映画のDVDのことであったり、腰を据えてやろうかと思って買ったゲームのことであったり)

も、どんどん忘れていって(正確には考える時間が少なくなって)しまい、思考のベクトルの種類も幅もなくなっていって、

もう、

なんだろうこれは、

感覚的には「何にもできなくなっていく」。

どんどん単純に、

どんどん馬鹿になっていく。

この状態をすごく危険だと自覚していて、ならないよう気を付けようとするのですが、ふと気付くとなっていることが多く、

ああっ!「バイト脳」めっ!

「バイト脳」のせいにして自分のせいじゃなくしてしまいます。

『自分は本当はもっとやりたいことも、できることもたくさんあるのに、バイト脳のせいでできないんだ。俺のせいじゃない。俺は悪くない。』

こういう自分を本当に愚かだなぁ、と最近やっと思えるようになりました。

「自分の行動力のなさや、自信のなさから産まれる無気力感・思考の放棄を自分以外のモノのせいにするなよ。今の自分は、自分の選択してきた多くの選択の結果で、望んでなった姿。」

このコトバがずっと頭の中で一定の周期で鳴り響けばいいのに。

  

今、

こうしている間に、

どんどん先に行かれる。

どんどん見えなくなっていく。

僕の方が足が遅いなら、けして立ち止まってはいけない。

背中が見えなくなってしまったらもう、

今度こそ追いかける気力を失ってしまうかもしれない。

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2009年5月11日 (月)

私なんてない

何だかふと、バイト中、自我意識の薄さにハッとなった。

私は何者でもない。

私は何者でもない。

何者でもないワタシはナニモノなのか。

色々なトコロで「ワタシ」ということにしている多面的自分の中心には何かが在るのか。

手で探っても何の触感も得られない。

あっら。

アンパンかと思ったらドーナツだった。

この空洞にあえて意味を与えるならば、「虚無」というコトバになるのか。

それか意味なんてないのか。

これを埋めるためのアレなのか。

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2009年4月24日 (金)

お酒

はこわい。

お酒を呑まない状態では絶対やらないことをやってしまう。

そしてお酒を呑んでいない状態の罪より、お酒を呑んだ後の罪の方が重い。

のに、その自分の犯した罪を覚えていなかったりするわけだから。

僕も昔お酒で事務所クビになりかける程痛い目にあって、あ、でも僕が痛い目にあった、と思う以上にその時居合わせた方々はもっと痛い目にあったと思ってると思いますが、もう死にたいと思う程の反省の日々を送ったことがあって。

でも、あの時のことは酒が回っててうっすらとしか覚えてなくて、翌日マネージャーと社長に死ぬ程怒られた時も、ちょっとピンとこなくて「え、俺何したんすか?」みたいな感覚で、自分の罪とすぐに向き合えないっていうか、自分がやったことのような気がしなくて、どうにも納得がいかない感じというか、で他人の話を聞いてくうちに隙間だらけの記憶が埋められていって自分がどんだけ愚かだったかを思い知らされて、だから、そうなんですよ、そういうことなんです、お酒に酔うっていうことは。

後悔が後から津波のように押し掛ける仕組みになっているんです。

酔わずにすぐ後悔するのと、酔って後から後悔するのとでは、もうだいぶ違います。

自分の罪の認識の仕方が。

ホントやり切れないです。

後悔しても後悔しても、ずっと、やり切れない。

せめてお酒が好きすぎて仕方がない、ってぐらいだったらまだね、アレですけど、好きじゃないから、基本。

不味い水、不快になる液体っていう認識ですから。だから余計に。何で呑んだんだよ、俺は、と。

悲しくなるので、お酒の過ちは。

僕の親しい人はどうか気を付けてくれないか、ヘンなことになりませんように、と願います。

まぁ、と言っても酒を呑むと気を付けようにも気を付けられなくなるわけだから、無意味か。

だとするともう運かな、って気がする。

罪になるかならないかは。

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2009年4月23日 (木)

愛想笑いを待つことを止めよう、やめたい

自分の今いる立ち位置とか、主義、主張、哲学、理想、みたいなものは緩やかに、少しずつ変化するものだとしても、

それを自覚し、対峙する対象に、「自分はこうです」と伝える術を持っていないと、

今後の人生、ずっと、

相手が愛想笑いしてくれるのを待つだけの生活しか送れない、と思う。

そんなのは「理解し合える関係」からは程遠い。

例えば、自分が選んだ選択肢の結果、最終的な立ち位置がマイノリティなものになっていても、そこから世界を始めていければ、失うものより、得られるものの方が(たとえ量は少なくても)尊い。

と思える。

例えば行われること、それ自体は集団や上層部の一部が決めたことで流れに乗るものだとしても、自分がそこに関わるための「選択」や「行動」は能動的でなくては意味がない。

そうでないとどんどん最初に起きたモチベーションの核を見失っていく。

個人としても集団としても。

大層なこと言ってるみたいに書いたけど、これ、当たり前のことでした。

そうですよね?

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