曲がれ
今日は紀伊国屋ホールでヨーロッパ企画の『曲がれスプーン』を観ます。
ヨーロッパ企画は作品の面白さと劇団員個々の力だけでここまできてる。
すごい。
どうやったらそんなことになるんだ。
観劇。
ワンオア後輩、泉麻子頑張ってた。
俺も頑張らねば。
衣装クリーニング出したり部屋片付けしたりバイトシフト出したりして夜はペニノ。
こっから年末にかけて怒涛の観劇スケジュールになりそう。
土曜日のソワレにM.O.P公演「リボルバー」を観劇。
明治初期の西洋ホテルを舞台とした群像劇。
ドタバタ喜劇なところがあるかと思えばしっとり魅せるところもあってそのバランスがよく(何様だ俺は)2時間半飽きずに観れました。
紀伊国屋ホールはやはり大きいと感じる。
小劇場の空間の広さの限界はどこまでなのか分からないけど、やっぱりその限界を超えると表現も小劇場のサイズではなくなるのかな。
別にオーバーアクトという意味ではなく、ブレの少ない、どっしりとした安定感のある空気を感じる。
エンターテイメントとしてお客様が安心して観られる空間が産まれていたのを感じました。
きっとほとんどのお客様が「面白かったねー」と言って劇場を後にしたのではないかなと。
役者さんの技術の高さがビシバシと。
肉体表現力。発声の仕方。台詞回し。声のよさ。
ああ。
巧い。
誰が観てもたぶん巧いと唸るであろう芝居を観た。
なんだけど。
コレは恐れていたのだけど、
やっぱり僕は、そこには興味が湧かないんだということも痛感してしまう。
ドキドキしないのだ。
そんな自分に失望感と嫌悪感を感じる。
こういうことでは僕は世間的に評価される役者にはなれない気がする(才能とかそういうこと以前に)。
し、今文章におこしてみてもやはりそこに対するモチベーションが産まれない感じを考えるとこれはどうも元々のやる気がないように思う。
つまり失望感・嫌悪感を感じつつもどこかでそれを肯定している自分がいる。
僕の考える役者を評価し面白がる点と(僕の想像の中の)世間的な役者を評価する点とにかなり大きな隔たりがあるということに対して、認識・自覚したところで、ではそれに対して何か対策を練らなくては、という気がまったく起きない、というのはコレは大丈夫なのだろうか。
僕はいい。個人は。
だが劇団として考えるとどうか。
いずれ劇団公演でそういった技術を持って、それを披露していくことを要求される日が来たとしたらどうか。
ソコには僕は応えられない。
と思う。
役者は時に「白いキャンバス」でなくてはいけない。
色々な演出家の要求に対して何色にでも染まる不確定な存在でなくてはならない部分がある。
でも今の僕は、興味がある、面白いと思う芝居が限定され過ぎていて、その基本的な部分が抜け落ちている気がする。
自分がやりたいことをやるための芝居、という風になっている気がする。
ワガママかもしれないけど今現在この姿勢・考え方に対して自分自身疑問はあるものの、改めよう、という気は、ない。
のか。
うーん。
そんなことを考えた1日でした。
佐藤の、第一回公演
『肩の上で踊るロマンシングガール』
僕と加南子は付き合ってから3年で、なんとなくそのまま、結婚するのだと思っていた。
けれどもある朝、からだがとけるような夏の朝に、僕は、女になっていた。
嗚呼、なんという冗談!
なんというロマンス!
今日は6月に乞局で共演させていただいたこゆび侍の佐藤みゆきさんが作ったユニット「佐藤の、」の『肩の上で踊るロマンシングガール』を観に新宿眼科画廊へ。
初めて行った演劇スペースでしたが、密でオシャレでよい空間でした。
芝居のタイトルでちょっとポップな感じを予想して行きましたが、
ファンタジックな設定を生きつつ、日常感もある丁寧なやり取りで、
あっという間の60分弱でした。
ただやっぱり恥ずかしいですね、人の恋愛を観るのは。
みんな恋人同士でいる時ってこういう感じなんですか?
どうなんだろう?
知りたいけど聞きたくないですね。
芝居観終わってジュンク堂。
閉店までずっと金も払わずベンチで戯曲座り読み。
酷い客です我ながら。
はぁ・・。
今月からまたバイト頑張んないと。
仕事覚えてるかなぁ・・・。
今日は(もう昨日か)休演日だったので以前『花火、舞い散る』で客演させていただいた椿組の野外公演に。
花園神社に毎年恒例のテントが建って、お祭りのような高揚感が沸き立っていました。
僕は普段は地味で静かな芝居を好む傾向がありますが、この椿の野外公演は特別な思いでいつも観ています。
やっぱり一度野外公演を体験させてもらっているだけに(と言ってもタタキできない僕は当時女子チームで力を使わない作業してましたけど)実感として分かるのですが、何もないとこに巨大なテントを建てて客席を作って舞台セットを建てるっていうのはそりゃぁ~~~もう!!大変な訳です。
雨だって容赦なく降りますしね。
単純な使う体力の量が半端ないですし、とにかく仕込みに時間がかかる(1週間くらい)。
その大変な作業を乗り越えて、しかも野外は声が全然届かないので単純に声量使いますし、いつも芝居中の運動量が多いし、夏だから暑いし、客入れもみんな役者がやるし、そんな中みんな芝居やってるっていうのを知ってるからよけいに暖かい気持ちで応援したくなるのです。
ホントは嫌いなんですけどね。
観劇に私情を挟むのは。
今年の演目は中島淳彦さん作・演出の
『新宿ジャカジャカ』
~その日、ギターは武器になったのか?~
世に対し自分がどう関るべきか、どう変えていかなくてはいけないのか、何が理想なのか何が正義なのか、そういうことを個人個人が真面目に考えて使命感を持って生きることに前向きだった時代。
そして何だかガムシャラだった時代。
音楽で世界は変えられるか。
いや変えられるわけないんだけど(少なくともフォークゲリラという方法では)。
でもその行動する人間達のエネルギーや身体は青臭くも輝いていて。
理想なんてイメージは手の届かないところにある蜃気楼のようなものでそれ自体、実態も曖昧で輝きを感じるものではないが、それを掴もうともがく人間達の肉体は素敵で輝いているのだ。
その姿をあの舞台で観ることができたらそれは演劇ならではのエンターテイメントになり得ると思っています。
なんと今年で24年目!スゲーことだわ。
今回も楽しみました!
いやそりゃ12日の五反田団とはまったく面白さのベクトルも違うしね、僕が興味を持っている身体の使い方ではない芝居の質だから手放しで面白い!っていうのとは違うけど、これはいいじゃないか、椿の皆さんの、エネルギーとか熱だとか、生きる力に溢れた何かを観れたらそれで満足じゃないか。
何より演劇に対する愛情に溢れてるこのエネルギーが僕の、明日への糧となるのです。
外波さんのしゃべってる姿はいつも思うけど凄い生きる力に溢れていて、役の範疇に収まりきらない何かがあって、この野外公演全体が持つ高揚感とかエネルギーの巨大さとか迫力とか社会の底辺に生きる人間の抗う姿とか、そういうものの中心にこの人がいるんだなぁ、ってことを肌で感じるのです。
椿恒例の客席での打ち上げで東京ハートブレイカーズの首藤さんや東京タンバリンの森さん、以前新国で見た早船さん作・演出の「鳥瞰図」に出ていらした野村佑香さんにお会いしてご挨拶(あー、ONEORのチラシ渡すの忘れた・・・)。
以前ONEOR8『電光石火』に客演していただいた福島まり子姉さんとも緊張しながら。
あとは椿のみんなと。
僕の漫画師匠的存在で友人の鳥越勇作くん、今回は舞台部で参加の根本大介くん(鴨川ホルモー行けなくてゴメン)、無機王以来ずっと大好きな役者の趙徳安くん、客演した時の我が相方浜野まどかちゃん、なんと山本裕典くんとTVで共演していることが発覚した岡村多加江さん、いつも素敵な全力女優、長嶺安奈さん(今回の役は切なかった!)、僕をいまだに「工場長」と呼ぶ美しい李峰仙さん、無駄にイケメン宮本翔太くん、僕の顔が変わったと言い張る和泉歩さん、肉体の力の説得力が半端ない平塚真介くん、完全に酔っ払ってた田淵正博さん、まったく歳をとらない井上カオリ姫。
みんな元気そうで何より。
千秋楽まで身体壊さぬように(いやそのあと4日続くテントバラシまでか)頑張ってください!
アレ?
新さん、恒さん、藤次郎さんに会ってねーじゃん。
しまったなぁ。
たまに僕春風亭昇太さんに似てるって言われるんですが、
どうなんだろ?
よく観てみましたけどあんま似てないと思うんですけど・・・。
いや、アレ「声が」だったかなぁ。
まぁいいか。
友人鳥越くんのブログもよかったら参考にしてください↓。
観劇。
先週です・・・。
友達の中川鳶ちゃんや知っている役者さんが何人か出てたり、トップスもうすぐ見納めだし、スロウライダーはこれで解散だし、というわけで新宿シアター・トップスへ。
結局スロウライダー3回くらいしか行けなったけど、いつも怪しい雰囲気の舞台美術で世界観が徹底していて好きだった。
解散が残念です。
っていうならもっと観に行けよ、と怒られそうだが。
今回はトップスということでちょっと窮屈な印象がありましたが、臭いが漂ってきそうな程のホラーチック(B級の)な空気。
設定はなんかTVゲームでよく出てくる感じで「あえて」ありきたりでつまんない設定、と思わせて喜劇だったり悲劇だったり、そんな感じ。
チラシにも書いてある
『クソゲーだわッ、現実はッ!』
の通りのクソゲー感漂う不条理な現実が一見可笑しくて笑っちゃうんだけど、ずっと観てると哀しくなる、そんな感じでした。
そういえば最近
「クソゲー」って聞かないかも。
それなりに面白くもつまらなくもないゲームが増えている、みたいな印象。
観劇。
乞局の墨井鯨子さんやエレファントムーンの永山智啓さんが出演するということで初あひるなんちゃら。
新宿サンモールスタジオにて。
もう先週のことです・・・。
チラシの
「冬の海と、もんやり駄弁芝居。70分。」
の通り、久しぶりのもんやり観劇を楽しみました。
特にコレと言って何かが起こるわけでもなく、精神的変化を感じられるわけでもなく、「力み」の全くない作品構成。
でも「ユルイ」っていうのとはまたちょっと違う。
そう、「もんやり」な。
コレが面白いのかと問われたら面白かったので何も言うことがないんですね。
なんか、ずっと見ていられそうな尺の長い可笑しさ。
瞬発力じゃなく、持続力で勝負する「笑い」の形って感じ。
なるほどコレは演劇でやればこその空気。
いいなぁ。
疲れたときとかに見に行きたくなる。
特に何も考えず客席でヘラヘラ笑っていればいい、
っていう観劇もありだな、って思いました。
でも一つ、コレは役者の力(というのか存在の面白さ)があるからこそ成せる技。
コレだけの面白い役者を集められたところの勝因って気がします。
うかつに真似したら絶対怪我しますね。
面白い役者さんってずっと観ていても全然飽きない。
芸人的な瞬発力とかそういうんじゃなくて佇まいとか場の居方とか漂わせてる空気とか、そういうとこの可笑しさなんだと。
底が知れない感じ。よく分からない面白さ。想像の範囲を容易く超えてくる感じ。
芝居を観る面白さは
「人を観る面白さ」
だなと改めて。
かといって語られる「物語」や「構成」がどうでもいいってわけじゃないんですけど。
終演後、エレファントムーンの酒巻くん、乞局の三橋さん、松岡洋子さんや鈴木歩巳さんと遭遇。
こんなスゴイ役者さん達と知り合いで何気なく談笑している俺って・・・。
よく考えると恐れ多くて恐くなったりして不安に。
だからあんまり考えずにヘラヘラしていようかなと。
観劇。
いつだっけな。
日曜だっけか。
去年コバさんの出た新国立の『動員挿話』があったので色々比べちゃうかと思ったけど、そんな感じでもなかったです。
役者が近いかどうか、で見え方って全然違うんですね。
より身近な感覚でこの作品を感じた日でした。
内容はそれは誰もが認める作品なわけですから胸を高鳴らせながら観ました。
しかし。
やはりこの文体を現代人が口語でしゃべるということの難しさ、というのも感じざるを得ない部分があって、心の片隅のどこかで『知り合いである役者がこの戯曲のコトバと格闘する姿を応援する気持ち』みたいなものを持ちながら観てしまったのは個人的に大きな反省でした。
コレをやると楽しみが減っていけないんです。
知り合いとか、先輩とか、そんなことは全部忘れて馬鹿になって世界にのめり込む、そういう姿勢が楽しい観劇体験と余韻をつくります。
馬鹿になれ、馬鹿になれ、感じるだけの脳になれ、と言い聞かせます。
中盤から後半、栗田かおりさんの役が鬼気迫る感情の波で場を支配しますが、異性にもかかわらずここに大きく感情を揺さぶられる私はやはり、この役の、狂気とも取れる愛情の固執、体制に抗おうとする力に憧れを抱いているのだと思います。
戦場にも劣らぬ壮絶な闘いがここに在ったと感じます。
関係ないですがTHE SHAMPOO HATの滝沢恵さんが僕なんかのことを知っていたということに驚き、動揺し、うろたえました。
自分が一方的に知っている気になっている人が自分のことを知っているというのは本当にコワイですね。
あとホントどうでもいいことですがチラシの絵の保倉さんの顔がどうにも似てない気が・・・。いや、本人いい顔ですよ、いい顔ですけどね。
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