観劇。
昨日は僕が昔だいぶお世話になった劇団トラッシュマスターズの公演を観に下北駅前劇場に。
となりのOFFOFFでモダンスイマーズがやってるので入る時知り合いの制作さんに会ったりで不思議な感じ。
「え?今日も観るの?」
「あ、いや、今日は隣りで・・。」
みたいな。
「水」をテーマに2部構成、2時間40分!の長編作品。
近未来の世界。ミネラルウォーターの配送を管理するシステムの中枢で起こる、記録の彼方、果て。
いやぁ。
凄い芝居だった。
なんていうか。
面白いとか面白くないとかそんなんじゃなくて。
凄い。
世界観の構築の仕方、細かい情報のディティールの追求、確信的描写。
そういうものに対する追求度というか、勉強っていうか、水深が深い。
コトバ的には「凄い」より「恐い」のほうが感情としては近いかもしれない。
ああ。
恐かった。
ずっとゾクゾク。
青くなって観てました、たぶん。
作品の、この世界と正面から向き合おうとするその真面目さが度を超していて、不真面目な僕の身体にはそれは刃物で突き刺されるような感覚に襲われたのでした。
誰もが本当は知っていて、でも意識的に、時に無意識的に見ないようにしているこの世界の現実と、そうなるであろう未来を、椅子に括り付けられ、まぶたを開きっぱなしにさせられて全部見せられたような。
凄い。
恐い。
よくこの題材と、ここまでド正面から向き合えたなぁ、と。
信じられない精神力と追求力、探究心。
まさにこの題材は日本人にとっての「闇」であり「業」の塊のような。
トラッシュは芝居の質こそ今流行の現代口語演劇、みたいなものとは間逆の質感で、「日常感」や「生活感」からは遠いのですが、
その、ミクロではなくマクロな方向への、
一つの部屋の中で世界情勢の動きを感じさせちゃうような、
その大きな視点と歩みには、甚だ驚かされるのです。
はっきり言って今僕が目指すONEOR8の、日常のより小さな、心の繊細な動きを追う中での芝居とトラッシュの芝居はベクトルとしては間逆なのかもしれませんが、
演劇を想う、一観客としては、こういうものは観たいし、絶対なくてはいけない、と思いました。
演劇表現、というものをいろいろな団体や演出家が模索しその方向性やベクトルを増やしたり、広げていくことを演劇人である僕はとても「健康なこと」と思うし、
なにより、
そういう多様な価値観や表現が共存している小劇場という世界を僕は、
観ていて楽しい、と思うのです。
しかし。
この作品が描くような世界に本当になりそうで(というかもう少しなりかけているのですが)恐いなぁ・・。
日本人の「水資源への価値観のズレ」にもう少し自覚的にならないと・・・。
でもまず日本人に「水」を「資源」と捕らえる力がないか・・。
でもきっと、失って初めて気が付くのかも。
それまでは気付けない(気付こうとしない)のが人間の愚かさ、というかそういう生き物なのだというか。
失ってからでは遅いのに。
今起きている世界的な「砂漠化」「異常気象」「小麦の高騰、収穫の減少」「バイオ燃料のための農地拡大により起こる問題」が「水資源の減少」と繋がっている恐さを、食料を他国に依存し水資源が豊富すぎる日本ではどうしても感じにくい現状があるかもしれない。
最近のコメント