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2014年3月18日

2014年3月18日 (火)

自分という俳優は、

大きな舞台や、自分のトコの芝居やっててよく思うのは、
自分という俳優は、なんかこう「ただずっと観ていられるっていう役者」ではないなぁ、っていう、ことです。
 
や、客演先でもそうかな、、
鳥公園ん時も。
 
なんかでもいるじゃないですか、そういう俳優。
 
もうなんていうか、その人が立っているだけで吸い込まれるように観てしまう俳優。
 
けっこう幸福なことに身近に何人もそういうの俳優がいるのですが、そういう俳優と一緒に芝居作ってるからと言って、自分がではそうなれるかというと全然違うんですよね、、
 
なんというか、自覚しているのは、そういう俳優に比べて自分はものすごくグラグラしてるんですよね、精神も肉体も、常に。疑心と不確定が充満してるというか。
 
一応、自分なりの考えがあって自覚的にやってる部分もあるとはいえ、ちゃんとした?お芝居をやる現場に行くと、なんか、こう、すごいグラグラなヤツきた!ってことになってしまうんですよね。
 
それで稽古場では僕はもう本当にちゃんと台詞も言えないし、決まった動きができないし、心もグラグラしてるから出てくるものが不安定だし、だから、まぁ、「ちゃんとやる」みたいなことはできないんですよね。
 
で、その状態ってひとことで言えば「ヘタ」ってことなんですよ。
「ヘタ」って便利なのですぐ説明がつくし、そう判断されるスピードって早いことを知っているので、だから現場でそう捉えられてるだろうなぁ、ってことめちゃくちゃ多い、っていうかほぼそうだと思います。
 
で、じゃあなんでそんなんで回りから「ヘタ」の烙印を押されながら芝居を作って行こうという精神が保てるかというと、その方法に未来があるからとどこかで思っているからなんですよね。
 
もちろん未来が見えてるからといって、実際に仕事でその未来に到達できなければ意味ない、というか、映像とかなんてすぐ本番来ちゃうわけですから、結果が残せなくてはもう呼ばれませんし、
だからその見えてるヤツを与えられた時間内に掴み取らなくてはいけないんですが、このやり方はリスクが高くて、そうやすやすと到達できるものでもないのです。だから、なかなか結果は出せませんよね。それで仕事増えるわけないですよね。
 
でも僕の中で一つ確信していることもあり、僕が目指す共演者との関係性や状態を目指すためにはその過程が大事で、だからグラグラでいることは僕にとって一つ突破口なんですよ。
そう勝手に思ってるんです。
可能性があるのでは、と。
まぁ、必死で言い聞かせているんですけど・・・。
 
でも現場でこの方法論で臨んで、評価いただけることは、
まぁ、なかなかないです。
 
なんか、「間が持たない不安なヒト、きた」
 
みたいな、そういう感じ。
 
そういう空気流れます。
 
なんか言い訳みたいな記事になってきました、、
 
「ずっと観ていられるっていう役者」の才がないことを悔やんでも仕方がない。
ただ、どうか演出家に諦めないで観てもらえるように、したい、といつも現場で考えます。
 
だからといって何ができるんだろう?
 
何ができるんですかね?
 
自分の進める、この恥かいて歩く道で止まらないことですかね?
 
その先にあるやつを信じてあげることでしょうかね。
や、もはや考え直した方がいいんでしょうか?
 
プライドスダズタにされてもこぼさず持って歩く図太さ、このまま持ち続けていいんでしょうか?
でもこれ以外のやり方もはやもう分かんないしなぁ・・。
 
 

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