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2009年12月16日

2009年12月16日 (水)

「躾」

「躾」
前に劇団でいただいた「躾」のDVDをCMのオーディションの時にキャスティングの方に差し上げてしまって手元になかったので買おうと思って演劇関係のDVDが売ってるとこに行ったのですがなくて(店頭発売してないのかな?)、ネット通販で買いまして今日届きました。

その内また誰かにあげてしまう気がしますが。

でもコピーとかしちゃいけないもんね。

固く禁じられてますからね。

ダメですよ、許しませんよ。

手に入れたい時は買わなくてはいけないのですよ。

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遊び

僕にとって「遊び」とはどんなことなんだろう、とか真剣に考えていて。

人生を楽しむ、ってことの手段がどういうことか、みたいな。

僕は社会的にはド底辺の貧しいフリーターですが、同時にいち役者で、舞台に上がれば何かのエネルギーやらなんやらを発信する人であったりします。

役割的には作品に対し受け身な立場ではありますが、受け身なだけではやっていけないのがこの世界で、受け身な姿勢では誰からも必要とされないのが現実だと思います。

そういう意味で、どんどん作品に、演出家に何かを提示していけるようになるために、結果お客様により役者から発信していける何かを見せられるようになるためにも、

「僕自身」に私はこうですが何か、

というもっと色濃い輪郭がなくてはいけないのかな、と思っているのです(もちろん加減は必要であるはずですが)。

先日訳あって今までの公演の舞台写真を観る機会があったのですが、主観での思い込みかもしれませんが、私の写真というのは、(今まで自分の写真に興味がなかったのであまり見ることがなかったのですが)恐ろしく曖昧なのです。

なんというか、ぼんやりとしているのです。

喜怒哀楽がよく分からず、何をやろうとしているのかもよく分からず、表情に乏しい。

どうも私の写る写真はなんかそのシーンそのものがつまらない感じに見えてきます。

なんなんでしょう、あの、輪郭の薄さ、弱さ、存在感のなさ、生命力のなさ、は。

ガッカリです。

それが私の見る私でした。

これはおそらく私が役者として発信しているものの微弱さ、が問題なのではないか、と推測しました。

そしてその原因が、普段の私自身の生きる力のなさ、

「遊ぶ」こと、

つまり世を楽しみ暮らすことの欠如からくる、人間力の低下にあるのではないか、と思ったのでした。

私はもっと私にとっての遊び、世を楽しむ術、を見つけていかなくてはいけないのかな、と思います。

私個人がまずそういう力に溢れたクリエーターでなくては輪郭を持った演技はできないのかな、と今感じていて、

まぁ、それが根本的に間違ってるかもしれないですけど、でも、今の現状を変える手段として、もっと世を楽しく感じ、思うことが必要なのです。

僕にとって正直今の世界はしんどいことが多すぎて、いや、でもみんなそうなんだと思うんですけど、耐えられる限界点がくるまでにそういうこともみんな「遊び」に変えられる術を身につけたいんですね。破裂する前に。

自己防衛のために、というか。

それでいつかですけど「遊び」の結果を僕個人からなんかどうにかして発信したりできたらいい、とか思っているのです。

それがそのまま僕の役者としての創作に還元できたら、と思うのです。

いや、ちょっと言ってて意味分かんないですけど、そういうイメージです。

前向きな妄想です。

たぶん昨日桟敷童子観たから今、私は力に溢れ雄弁なのです。

実際芝居があるから命永らえているのです。

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