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2009年8月10日

2009年8月10日 (月)

劇団M.O.P第44回公演「リボルバー」

Revolver   

   

  

  

  

   

   

  

  

   

  

  

土曜日のソワレにM.O.P公演「リボルバー」を観劇。

明治初期の西洋ホテルを舞台とした群像劇。

ドタバタ喜劇なところがあるかと思えばしっとり魅せるところもあってそのバランスがよく(何様だ俺は)2時間半飽きずに観れました。

  

紀伊国屋ホールはやはり大きいと感じる。

小劇場の空間の広さの限界はどこまでなのか分からないけど、やっぱりその限界を超えると表現も小劇場のサイズではなくなるのかな。

別にオーバーアクトという意味ではなく、ブレの少ない、どっしりとした安定感のある空気を感じる。

エンターテイメントとしてお客様が安心して観られる空間が産まれていたのを感じました。

きっとほとんどのお客様が「面白かったねー」と言って劇場を後にしたのではないかなと。

役者さんの技術の高さがビシバシと。

肉体表現力。発声の仕方。台詞回し。声のよさ。

ああ。

巧い。

誰が観てもたぶん巧いと唸るであろう芝居を観た。

なんだけど。

コレは恐れていたのだけど、

やっぱり僕は、そこには興味が湧かないんだということも痛感してしまう。

ドキドキしないのだ。

そんな自分に失望感と嫌悪感を感じる。

こういうことでは僕は世間的に評価される役者にはなれない気がする(才能とかそういうこと以前に)。

し、今文章におこしてみてもやはりそこに対するモチベーションが産まれない感じを考えるとこれはどうも元々のやる気がないように思う。

つまり失望感・嫌悪感を感じつつもどこかでそれを肯定している自分がいる。

僕の考える役者を評価し面白がる点と(僕の想像の中の)世間的な役者を評価する点とにかなり大きな隔たりがあるということに対して、認識・自覚したところで、ではそれに対して何か対策を練らなくては、という気がまったく起きない、というのはコレは大丈夫なのだろうか。

僕はいい。個人は。

だが劇団として考えるとどうか。

いずれ劇団公演でそういった技術を持って、それを披露していくことを要求される日が来たとしたらどうか。

ソコには僕は応えられない。

と思う。

役者は時に「白いキャンバス」でなくてはいけない。

色々な演出家の要求に対して何色にでも染まる不確定な存在でなくてはならない部分がある。

でも今の僕は、興味がある、面白いと思う芝居が限定され過ぎていて、その基本的な部分が抜け落ちている気がする。

自分がやりたいことをやるための芝居、という風になっている気がする。

ワガママかもしれないけど今現在この姿勢・考え方に対して自分自身疑問はあるものの、改めよう、という気は、ない。

のか。

うーん。

そんなことを考えた1日でした。

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