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2009年7月10日 (金)

今更ですが乞局第16回公演「芍鸝(シャックリ)」を追想してみる・1

昨日ONEOR8公演『躾』が初日を迎え、今日は入りまでに時間があるのでずっと書こうと思っていて書けなかった『芍鸝(シャックリ)』のことを書こうと思います。

『芍鸝(シャックリ)』は僕が6月に客演させていただいた乞局(こつぼね)という劇団の公演のことです。

多分この場でも何度か書いたと思いますが、乞局の作品が好きで、もともとは知り合いの鈴木享という女優が縁で観るようになったのですが、毎回乞局を観る時は知り合いが出ていようがなんだろうが、役者としての目ではなく完全に一演劇好きのお客としての目で観ることができて。それは演劇人としてはとても幸せなことで。

いつも(というわけではないかもしれませんが)乞局には人や外界とコミュニケーションを取ることに歪みが生じてきてしまっている人達が居て、それはまぁ色々あったりするけど基本的には真面目だったり(まっすぐだったりという方が適切か)、身体に溜め込んだものを無理やり懸命に昇華しようといたり変換しようとしたりすることから生まれてきてたりするんだと、例えば世の不条理な摂理に流されずに正義と思って抗ってみちゃったら取り返しがつかなくなっちゃったみたいな。

ま何かそんな曖昧な解釈を僕はしているんだけど、

そういう人達の会話ってまぁ痛いんだけど、その懸命さとか人としての居方は素敵だと思っていて、そういう人ってちょっとキラキラしてるっていうか(高校球児とは間逆のベクトルで)。

不謹慎かもしれないけど虚無とか不幸とか負の感情の渦巻きでコーティングされて輝いてるとこがある(本人は絶対自覚できないんだけど)ように思う。

美意識を刺激するのかも。

「堕ちていく美しさ」というか。

関係性やコミュニティーや人間そのものが崩壊していく(乞局は融解してスライム状になって形を保てなくなってシミになるって感じか)面白さ、恐さ、切なさ。

  

『芍鸝(シャックリ)』はまたちょっと今までとは違ったアプローチというか、見せ方を試みた作品だったと思うけど、基本的な「人の生活する身体の魅力」みたいなものは僕が今まで観て来た乞局と共通するものがあったと思う。

スンマセン、時間の都合でまた何日か後に。

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写真は鳥越くんのブログから終演後の私。

ヒゲも伸ばしっぱなし、髪はボサボサ、完全に浮浪者でした。

この期間バイト行けなかったなぁ・・・。

(その2につづく)

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