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2009年4月23日

2009年4月23日 (木)

愛想笑いを待つことを止めよう、やめたい

自分の今いる立ち位置とか、主義、主張、哲学、理想、みたいなものは緩やかに、少しずつ変化するものだとしても、

それを自覚し、対峙する対象に、「自分はこうです」と伝える術を持っていないと、

今後の人生、ずっと、

相手が愛想笑いしてくれるのを待つだけの生活しか送れない、と思う。

そんなのは「理解し合える関係」からは程遠い。

例えば、自分が選んだ選択肢の結果、最終的な立ち位置がマイノリティなものになっていても、そこから世界を始めていければ、失うものより、得られるものの方が(たとえ量は少なくても)尊い。

と思える。

例えば行われること、それ自体は集団や上層部の一部が決めたことで流れに乗るものだとしても、自分がそこに関わるための「選択」や「行動」は能動的でなくては意味がない。

そうでないとどんどん最初に起きたモチベーションの核を見失っていく。

個人としても集団としても。

大層なこと言ってるみたいに書いたけど、これ、当たり前のことでした。

そうですよね?

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僕は僕だけが目を持っていると思っていたことがありました。

今もたまにそう思うことがあるのですが、でも、観る映画や芝居が自分の好きな人ばかりが出ていて迷いがない時、そうではないんだと思えます。

それはこの世界を肯定できる瞬間で、とても嬉しいことで、同時に絶望的なことでもあります。

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居眠り

もう、居眠りする時間はない。

って最近思う。

そんな余裕は。

学生時代、授業中いつでも寝られたのは(ホントひどい有り様であった)、アレは、いつだって取り替えせる、という無根拠な余裕からだったと思う。

まだまだ人生は長く、取り返しがきくのだ、

今、学ばなくとも、いずれその機会があるだろう、

そういう、「人生はひたすらにはてしなく長い」という思い込みと甘えから僕は自分の怠惰や怠慢を許してきた。

もともとの気質がゆるゆるでのんびり屋の僕がそこからひとっ飛びで抜け出せる、とは思えないが、

とりあえず、今の、人生が有限であり、残された時間は僅かで、為せることは限られている、というこの焦燥感が、居眠りをさせない身体にしていく、

はず、

と、

本多でナイロンの芝居を見てふいに居眠りしてしまいながら思った。

駄目だな〜、2時間半超えるともう集中力がなくなってくる…。

みのすけさんスンマセンでした。

自分を窘めます。

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