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2009年2月18日

2009年2月18日 (水)

東京タンバリン公演『静かな爆』

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観劇。

最近更新が滞り気味ですがスイマセン。

パソコンの不調やバイトや稽古が重なりなかなか余裕なく。

さて。

ONEOR8公演『ゼブラ』でお世話になった瓜生和成さんの所属する劇団、東京タンバリンの本公演を観に下北駅前へ。

ってコレももう先々週なんですが・・・。

耳の聞こえない聾唖者の女の人の感じている世界とそうでない人の感じている世界の違いを描く、いわゆる「そーいう」お話かと思いきや全然違う展開で、面白かったです。

コレは今の僕らが行っているコミュニケーションの本質に迫る作品、と受け止めました。

 

高井浩子さんの作品を観るのはこれが7回目くらいですが、いつも観終わった後、色々感情がごちゃごちゃしていまい上手く言えません。

単純に

「あ、面白かったっス」

みたいには絶対言えない。

なんか、

ちょっと絶望感というか、空虚感みたいのも産まれてしまって、あと焦るっていうか、

すぐ、一人になりたくなる。

早く自分のこのごちゃごちゃと向き合い、整理しないといけない、

みたいな。

  

そういう思いに駆られるというのは、作品で描かれることの中にたくさん、

「あっ!それ僕も考えたいと思っていた(思っていてでもよく分からないから後回しにしてた)!」

というようなことや、

「そうか、こういう人なんか嫌だなって思ってたけどその理由が分かったかも!」

みたいな発見やら、

そういう知的欲求を満たしてくれたり刺激してくれたりする仕掛けにやられまくっているからなんだと思うんだけど、なんだろう、そこに「楽しさ」だけじゃなくて「しんどさ」も発生してくる感じ。

  

この辺まだちゃんと自分でも把握できていないところだけど、

もしかしたらこの「しんどさ」は、

「発見」から「自分の中で得た答え」の先に見えるものが

ちょっと怖い

みたいなことかな。

「怖い」って言っても色々あるけど、

例えば、自分を見透かされたような、他者が僕の隠したいことも含め僕以上に僕という存在を完全に把握しているんではないだろうか、またはその全く逆で全く何も見ていないのではないだろうか、というようなことであったり、

コミュニケーションによって得たと思っていいる人間のつながりが、本質的には実態のない、幻想に近いものかもしれない、ということであったり、

そういうことは僕の「想像の範疇」のことであり、「真実」とはまた別なのだということは分かっていつつも、

自分で設定した問題の突き詰めた先に見るものは

「自分の希望する(見たいと思っている)世界」である、

という僕の考えに当てはめると、

僕がそういう絶望的希望を根底に持っているかもしれない、という想いにかられて

ちょっと怖い

みたいなことであったり。

観客はわがままだなぁ、と思います。

怖いもの、は見たいけど

怖いこと、は知りたくない

みたいな。

  

でももう僕は本当は「怖いこと」を知りたい、と思っていると気が付いているのできっかけは僕の思考を助長して否応もなく僕に付きまとってきます。

答えを出さなくちゃ。

ああでも怖い。

「芝居作品」と向き合うということは「自分の見ている(見たいと思っている)世界」と向き合うということなんだと思います。

こういう怖い作品に出会うとそういうことを改めて感じます。

    

「恐怖」を覚えるほど僕をのめり込ませてくれた音の演出・舞台美術に感謝。

人間の関係性、距離感の描き方がすごく好きでした。

聾唖者の女の子に対する各人の反応。理解者を気取ったり、容姿が可愛いとそれだけで魅力を感じてしまったり、自分には分からない世界が見えるからと神聖視してみたり。

こういう風景に共感と嫌悪とが入り混じって・・。

それぞれがそれぞれの興味を女の子に持ったり関係を作ったりするものの、誰もその子のことを詳しく知らない(それぞれにそれぞれの持つ彼女のイメージがあるだけで全く交わらない)という現象は色んな解釈が生まれるものの、凄く興味深かったです。

聾唖者と健常者、という立場の違いが世界の違いを産む、というより僕には人間個人個人の持つ世界の間に、僕らが想像する以上の大きな隔たりがあるように感じました。

僕らは、人類は、同じ種だが、統一された世界のイメージはけして持ちえず、それはたとえ同国の同世代の人間の間であっても交わることはない。

僕らは一人々が独立した世界そのものであって、統一された情報によってその形を必死に似せているだけなのか、という。

なんか。

昔NHKかなんかで見た宇宙空間の話、

「宇宙は球体で、その周りを取り巻く大きな器には同じような宇宙を内包する球体がいくつもあるが、その球体同士は絶対に交わらない」(記憶はあいまいだが)

という説のイメージを思い出した。  

  

「俺は」「ワタシは」「僕は」と自分のことばかり言っている日常会話の風景はディフォルメされているもののまさに現代で行われている会話風景。そして僕も例外ではなく。

僕はこう、僕はこう。なんて滑稽で愚かしいんだろう。

「ブログ」というコミュニケーションの恐怖(笑)、面白かったとともにやはり恐怖。

笑えるけどやっぱ笑えない。

「ウチの家族のことを何で俺より他人のが詳しいの?」

そんなこと、うん、確実に起きてる。

   

役者陣がとにかく素晴らしすぎてへこむ。

聾唖の女を演じた大田景子さん、何を考えているか分からない表情、分かりすぎる表情、目線の力、不思議な存在感、役同様底の見えない魅力や恐さを持っている感じ。

この役の解釈は人それぞれになると思うから、この「見えているようで見えない」「見せているようでしたたかに隠している?」この感じが肝だったように思うが見事に体現されていて、目を奪われてしまいました。

会社の同僚の人の田島冴香さん、スゲェ、なんか見ちゃう、スゲー気になる。別になんか面白いことやってる役なわけでもないんだけど、心が勝手に面白がってしまう。

カメラマン目指してる人の遠藤弘章さんもなんかあからさまに芸達者で面白くてディフォルメしてるのにリアリティもあってスゴイ。俺が絶対なれないタイプの俳優。

って調べたら皆さん劇団員。

なんて層の厚さだ。

へこむ。

というかいままで東京タンバリンの公演を役者に注目するという目線を持って見る余裕がなかったけど、こうして観ると役者さん一人々の凄さを実感。

いつもお世話になっている瓜生さんや森啓一郎さんが素晴らしいのはもちろん、

客演の青海衣央里さんや今回ミギタ明日香さん(もスゴイ女優さん!)の代わりで出演されていたナイロンの皆戸麻衣さんにも心揺らされました。

皆戸麻衣さんには全く嫌悪感はありませんが、演じられた原さんという社員にはホント大嫌悪でもうムカついてムカついて客の立場を忘れてぶっ飛ばしてやろうかと思わせられるほど人間性に嘘がなかったです。なんというか、「完敗」という気分です。

  

脚本を売ってたのにお金がなくて買えなかったのが唯一残念。

今の立ち位置を全く変えることなくお金持ちになりたい。

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