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2009年1月26日

2009年1月26日 (月)

演劇人

「演劇人」を名乗るだけで人は多くの犠牲を払う、と思う。

払っている、と思う。

でもその犠牲を払ってまで「僕は演劇人です」と名乗り続けるのは、

「演劇」というメディアが、

おそらく最も「社会的権威」から遠く、

作品創りに制約がなく、

「大きな力」に影響されず、

営利主義に反した、

作品の名の下に皆平等で、

作品として妥協なく理想に近付ける、

『やりたいことが出来る』メディアだからだと思う。

いや、

正確には「やりたいことが出来る環境にすることが出来る」メディアだから、か。

そういう条件を満たした環境を僕は

「創作の場として健康な状態」と呼んでいる。

「創作の場として健康な状態」が完成度の高い作品を産むと信じている。

そういった健康な状態が小劇場ではごく当たり前に手に入る、ような気がする、多分。

なぜなら小劇場では

「やりたい作品をやるため」に作品を創るからだ。

そこからスタートしたモチベーションは総じて正しい、健康な方向へと進む、

んじゃないかなぁと思っている。

その作品の良し悪しは別として(といっても作品の普遍的な良し悪しなんてものはないわけだが)。

  

この「健康な状態」は本当に本当に大切で「作品」にとって宝物のような状態で、他のメディアではなかなかどうしてもんのすごく得がたい状態で(と偏見で思っていて)、だから僕らはこの「場の体調管理」に関しては敏感にならなきゃいけない、と思う。いつも思っている。

演劇人であるからそう思うんだと感じている。

  

以前批判されたことがあった。

「オマエはやりたいことをやっているだけだ。それはプロじゃない。プロの役者には「誇り」なんてない。「誇り」を持たず与えられた仕事をこなす、それがプロだ。」

僕の尊敬し、憧れていた先輩からであった。

その時僕は「プロ」になりたかったので従順にそのコトバを受け入れたが、

何年経ってもずっとそのコトバに違和感があって、身体に馴染まず、拒否反応で肌が爛れた。

今もまだそのコトバは僕を侵し続けてたまに侵食されそうになるが、やっぱり、

最終的に負けることはない。

「誇り」が邪魔をするから、そこで侵食が止まる。

  

この「誇り」、どうしても捨てられない。

もう何年も。

この「誇り」は僕に芝居の魅力を教えてくれた全ての演劇人に対する「尊敬」が創った「誇り」だから、なのか。たぶんそういうことだから。

そんなもの、

絶対捨てられない。

  

ごめんなさい。

抗います先輩。

そういうのがプロなら僕はプロじゃなくていいです。

でも僕はプロを諦めたおかげで「誇りある演劇人」になる道を見付けられた気がします。

ONEOR8を大切に感じることが出来ている気がします。

ありがとうございました。  

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