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2008年11月12日

2008年11月12日 (水)

乞局第15回公演 『邪沈』

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観劇。

乞局第15回公演
「邪沈(ヨコチン)」
笹塚ファクトリー提携公演。

毎回楽しみにしている乞局公演。

そして

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中島佳子さんが客演、ということでもう多分あんまり冷静な目で観られてないですね。

のでここで僕が書く感想はあまり参考にならない情報と思います。

ゴメンナサイ。

ワンシーンワンシーン釘付けなわけです。

目が逸らせないわけですね。

人間そのものやその関係性が破綻していく過程や瞬間や結果から。

一般的に人はいわゆる「不幸(と感じるような)」な状態を嫌い、遠ざけようとする生き物という見地がありますが、実際に「不幸」のバロメータを振り切った状態の人から人生を省みて逆算すると、そのきっかけや選択には自分の意思や哲学が関っているわけで、傍から見れば「不幸」な状態に自ら突き進んでいるかのようにも見えるものだったりするもので。

当事者から言わせれば「アイツが悪い影響を私に~」とか「周りの環境が~」ということだとしても、客観的に見ればその状況に甘んじ流された(抗う選択をしなかった)のは自分の意思で、勝手に自分から選択肢を狭めてしまった結果であったり、ともすれば進んでその状況に身を委ねているようにも見えたりするものだったりする。

僕は現実でも芝居の中でもこういうケースを見るにつけ不思議に思っていたが、何か一つ今回でよぎったのは、「負なるモノの引力」みたいなもので。

人間は「破綻する未来」をどこかで予見していながら、それを望む望まないにかかわらず歩みを止められない、といった習性があり、「どこまで行けるのか」という興味で崖を走り下れてしまうとこがあるんではないだろうかと。

傍から見ればもうそこは崖の絶壁なのでもう手遅れだし戻れないのだが、本人はまだ行けると駆けて行けてしまう。

駆ける、といってももう完全に垂直に落ちているわけだから足を動かすことにイミはないわけだがでもなんか懸命に空を蹴っている。

本当に不思議だ。

でもそれを観ているのは(本当に不謹慎な話なのだが)とても楽しくまた興味深い。

それは多分そういった状態の人が人間の本質に肉薄する存在だからなのではないか、と思う。

そしてそういう人は意外と真面目なのだ。

「自分」や「外界」に対して真摯だ。不器用すぎる程に。

だから観ているとちょっと好きになってしまいます。

一般的な見地からするとそれは「無様」であったり「みっともない」状態であったり「悪意に満ちている」状態だったりするのかもしれませんが、ただこれ以上なく「真剣」であるわけです。

あ、でも友達になりたいとかではないですもちろん。

お客で、向こうはまた別次元の現実で、一生関りを持たない、という距離感を保った上での「好き」なわけで。

だからなんかね。

終演後とかあんまり話とかしたくないわけですよ、本能的に。

嘘だと分かったら(芝居で役だと頭では理解していますが)ちょっと薄れるじゃないですか、せっかくの「好き」が。

いや、さすがに何度も会ってるしお話ししている中島佳子さんは会ったら「あ、中島さんだ」とは思いますが。

  

芝居、素敵でした。

今思い返すと各人物の行動としては「え?!」っていうようなことをしているのですが、でも「人間てこうかも」って思わせる説得力がどこかあるんですね・・。

  

前回のあらすじの文章も好きで勝手に載せさせてもらいましたが、今回のも素敵なので載せさせてください。

    

  

──現代かもしれないどこか海に近い町。

もしくは発達する気も失せてしまった海辺の田舎町。

その土地には風変わりな風習があった。

それは、死者の弔い方にある。圧葬(あっそう)と呼ばれるその土地特有のモノである。

その地方に伝わる土葬の一種で、遺体の肉を遺族の手により潰し、田畑にばらまき、

その土地に染み込ませ永劫見守って欲しいという願いを込められたものだったと言う……。

遺体を遺族の手により潰す、その痛みを遺族は決して忘れてはならない。

一方残った遺体の皮は集落毎に倉庫があり、年に一度行われる収穫祭の時にその皮に土を入れ、

案山子として掲げ、復活祭的目的として使用される。

しかしその「圧葬」はあまりに遺族には酷な為、直接手を下すことのないよう、

専門の作業員が「圧葬」を担うことになる。

彼らは「組」を作り、進んで酷な作業に取り組んだ。

「土地神がまた増える」と信じて。

彼らは人一倍真面目なのだ。

やがてその希少な職業は「野蛮」とされ、数少ない「世襲制」となった。

判別しやすいように、名前も名字の一部に「人偏」に「獣」の字をあてがった。

こうして彼らは「圧葬」のみに従事するという鎖につながれたわけだが、

遺体を潰す行為自体が問題視され「圧葬」の風習は禁止された……。

彼らは途端に無用となった。

埋葬法自体が野蛮ということで禁忌の風習とされただけだったが、

真面目な彼らは、自分たちを汚らわしく思ったに違いない。

  

  

終演後、

出演者の墨井鯨子さんに

「(観に来てくれて)ありがとうございました。」

と声をかけられ、

「こちらこそ(面白い芝居を見せていただいて)ありがとうございました。」

と返したら

「は?何がですか?ワタシなんも言ってないし・・・」

と。

どういうアレでそう思ったかわかりませんが僕は瞬間的に

『この人を僕は信頼できる』

と思ったのでした。

想定外のリアクションに僕は弱いところがあります。

  

財布に600円しかないのに打ち上げに行き、中島さんにお金を立て替えてもらうという恥をさらし自己嫌悪しましたが、精神に負荷を与えることが出来た分、行ってよかったと思いました。

その様子が友達の鳥越勇作くんのBLOGにアップされてますのでよかったら観てみてください↓。

『鳥越勇作ブログ』

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